ブログをはじめてみました。

ごあいさつ

 こんにちは。トクヴィルたんです。このあまりキャラにそぐわないハンドルネームですが、以下のTwitterで使っているものをそのまま使っています。twitter.com

 “~たん”というネーミングについては、“刑法学たん”や”思想史たん”などといった、冠した学術分野について投稿するもので我々の友人らの間で「学術たん」と呼んでいたアカウント群からオマージュしたものです。ちなみにオンラインでもオフラインでも極めて親しい友人の南海先生(TwitterID:@machiavelli1879,以下のアカウント )は当初”マキャヴェリたん”というアカウント名でした。というかどっちかというと学術たんアカウントよりマキャベリたんアカウントに寄せたような気もしてきましたが、まぁどちらでもいいでしょう。

twitter.com

 

 さて、以前からやろうやろうと思っていながら後回しにしていたブログの開設&投稿ですが、ようやく重い腰を上げて取り組んでいます。実は複数のネタを温めてあるのですが、1本目の投稿ということで変に気負いしてしまって遅疑逡巡し、どれにするか決めかねていました。しかし、初投稿のタイミングだけは本日7月29日にするぞと固く決心していた(その理由は本稿末で。)ため、この際エイヤっと決めてしまったわけです。

 ちなみに心の内で決していた初投稿ネタは10分くらい前に気が変わって次回以降に回すことにし、本稿では「普段そういうの嫌ってるくせに何故タイトルに横文字をぶっこんでいるのか?」と「そもそもなんでトクヴィルなのか?」とについて書くことにしました。

 

横文字タイトルについて

 まず、ブログタイトルの横文字の件について。これはフランス語でこのような意味のある言葉です。

 
 

souvenir     

IPA: səsuvəniʀ, /suv(ə)niʁ/; Gender: masculine; Type: verb, noun;
  •  
    土産
     { noun }
    objet que les touristes aiment rapporter de leurs voyages soit pour eux-mêmes, soit pour les offrir en cadeau à des parents ou amis
    Qu'as-tu acheté comme souvenirs?
    土産何買ったの?
  •  
    思い出
     { noun }
    Le conférencier s'est appesanti sur quelques souvenirs de ses jours de collège.
    講演者は自分の大学時代の思い出を詳しく話した。
  •  
    記憶
     { noun, Verbal; Noun }
    Cette photo m'a rappelé des souvenirs d'enfance.
    その写真は子供時代の記憶を呼び戻した。
  •  
    お土産
     { noun }
    souvenir (objet, cadeau)
    Qu'as-tu acheté comme souvenirs?
    土産何買ったの?
  •  
    回想
     { Verbal; Noun }
    Sa fille Edith se souvient d’une expérience de sa jeunesse :
    スミス大管長の娘のエディスは,青少年時代の経験を次のように回想している。
  •  
    形見
     { noun }
  •  
    回顧
     { Verbal; Noun }
    Après l’opération, se souvient-elle, je n’avais presque plus mal et je respirais plus facilement.
    マミーは回顧してこう述べています。「 手術後,痛みはほとんどなくなり,呼吸も楽になりました。
  •  
    回顧録
     { noun }
  •  
    御土産
     { noun }
    souvenir (objet, cadeau)
  •  
    想い出
     { noun }
    Son histoire me rappelle des souvenirs de mes parents.
  •  
    メモリ
     { noun }
    Ne laissez-pas vos souvenirs..
    メモリ を さ せ な い で 下さ い "
  •  
    記念品
     { noun }
    Comme s'il gardait un petit souvenir de la vie de chacun.
    人々 の 人生 から の ささやか な 記念 品 みたい
     
     

 なんか引用元サイトからうまく挿入できずガチャガチャして見苦しいのですが、こういった意味を持つ言葉です。抽象的な語感イメージとしては「経験やものごとを思い起こさせる(モノ・こと)」といった感じでしょうか。そこから、そうした経験や物事を想起させるものや、転じて記憶や経験を通時的に呼びおこしたりする書物として「回想録・回顧録」といった語意も含むわけです。英語でも「おみやげ・記念品」など同様の語意そして綴りで“スーベニア”という単語として存在しますね。

 さて、もう読者諸賢はお気づきかもしれませんが、この語は1893年に刊行されたトクヴィルの最晩年の著作『Souvenirs』(邦訳は(1988年)『フランス二月革命の日々 トクヴィル回想録』喜安朗訳,岩波書店.)のオマージュです。つまりオマージュのハンドルネームでオマージュのタイトルをつけたということになります(笑)。まったく門外漢のフランス語からのカタカナ転訛にあたっては、みすず書房から出ている松本礼二(2011)『トクヴィルで考える』でのルビ表記を参考に“スーヴニール”という表記としました。ちなみにこの本ですが、第一巻と第二巻がそれぞれ上下巻に分かれて計4冊を擁する分量の『アメリカのデモクラシー』(以下『デモクラシー』と略記)を読むにあたってのよい参考書となると思います。実際、後述の『デモクラシー』講読の授業では副読本として指定されていました。

 ちなみにどんな内容を上げていくかに関しては、詳細には決めかねているものの表題通りの『回想録』あるいはもっと簡素な『備忘録』としてつけていきたいと思います。その時々に何を想ったのか、なぜそう考えたのか、何を感じたのか。そうしたことを月日を跨いだ後に追体験すべく書いていこうと思っています。

 ただ、自分の考えている頭のなかを開陳するわけですから、自家利用する他にもある程度インセンティヴが欲しいなぁというのは少なからず感じているところでして、ありていに言えば雀の涙程度でもマネタイズしたいと欲していました。その際の媒体として、この“はてなブログ”と“note”とで逡巡した(noteの記事ごとのマネタイズは私の企図に極めて親和的だった)こともなかなか腰が上がらなかった一因なのですが、さしあたりは本ブログをリッチコンテンツ版あるいは回想録として、後者のnoteをお手軽コンテンツ版あるいは旅行記として併用することとしました。noteのほうについては後日そっちで書き、リンクでも貼ろうと思います。

 

なぜトクヴィルなのか

 さて、わたしがトクヴィルを紐解くようになったきっかけから述べたいと思います。その最初の一歩は、評論家の宮崎哲弥氏との出会いによるものです。あれは大学2年目の春だったかと思いますが、当時彼が定期的に出演していた某ラジオ番組のスタジオでいわゆる出待ちをし、お話をさせていただいたのでした。

 私が当然に想定していた大学でのアカデミックな生活がまるで期待外れに終わり(私の入試科目は地理Bと世界史Bであり、公民科目は高校の選択科目でしかなかったのに入試科目にしていた同期学生が自分より当該科目の素養が無いみたいなことが頻繁にあった)、本来来志学していたはずの政治学や法学の形而上的分野の学修ですら、まるで長期入院者へのリハビリがごとき遅遅とした進度と薄い内容が展開される(しかも厳格な出席チェックにより講義に出ずに自学自習でということすら許されない)ことに食傷してしまい、大学を辞めることも真剣に検討し始めていました。

 その頃では、代わりにそれまで漠然と興味をもちながら全然学んだことのなかった仏教と神道とに興味をそそられ、入門書からお勉強をするといったことが読書生活の軸になっていました。そこで『知的唯仏論』を手に取った際に宮崎氏は面白いなと感じ、仏教分野以外の著作も渉猟することとなったのでした。

 ある日、宮崎哲弥氏が一時期私と全く同じ大学課程に身を置かれていたという事実が明らかになりました。なにか縁を感じ、上記のラジオ生放送の後に彼の著作とサインペンとを携えてスタジオ通用口で出待ちをしたのでした。お会いした宮崎氏は不躾な突撃にも懇切に対応してくださいました。その場での15分~20分くらいの立ち話で、もともと志学していた上記分野の学修環境に失望していること、いま身を置く大学環境から去ることも検討していることを伝えると、彼は私と同じ課程に居た際に初ゼミ(?)で師事した政治思想史学者の松本礼二教授(当時)の名を挙げ、「政治思想や政治哲学に足を踏み入れたのは松本教授の下での経験がきっかけだった。辞める前に一度彼の講義を受けてみたら?」とのアドバイスをくださったのです。

 後日、アドバイス通りシラバスを検索してみました。春・夏学期の科目登録期間は過ぎていたので秋・冬学期の科目で。すると、どうやら松本教授の講義ではトクヴィルの『デモクラシー』全四巻を講読するというではありませんか。実は『デモクラシー』は、高校生の時に手に取ったことがありました。ただ、それはE.バーク『フランス革命省察』、ミル『自由論』『代議制統治論』を読んだついでに副え物程度にザっと一読したという感じで、しかも古書店で3巻セットの安売りをしていた井伊玄太郎訳の講談社学術文庫版(翻訳のクオリティや日本語としての読みづらさからかなり批判の多い本であると後に知ることになる)を手に取ったのでした。これは今思えば明らかに井伊訳のせいなのですが、そのときの感想は「ずいぶん固い言葉で民主制の要素条件をたんまり挙げてんなあ」くらいのものでした。

 あくる昼、図書館で教科書に指定されていた松本教授自身による新訳『デモクラシー』を調達して読んでみたところ、その読みやすさに驚愕しました。さらに扱っているテーマ(その結論がではなくアジェンダがってことですね)が今日での議論にもかなり通底することにも新鮮な驚きを感じたのでした。第一巻の上下2冊を行ったり来たりしていると気づけば22時の閉館時間になっており、興奮冷めやらぬまま学内の24時間開室している自習室へと移動し、第二巻の上下を併せて翌朝まで読書に耽っていたことを覚えています。第一巻と第二巻がそれぞれ上下に分かれているので計4冊になって合計金額がかさむのはツラいとこですが、その価値は十二分にあると思います。いまも岩波文庫のなかでぼく一番のおすすめです。

 

 さて、その講義受ける以前のタイミングまで話ですでに4000字を超えているらしいです。初回とはいえ想定している分量をかなり超過しているので、本稿はここらで終わりにしたいと思います。一稿をやたら長くしたりこだわりだしたりしますと、絶対そのあとに続かないですからね。

  生涯を通し、法曹・国会議員・行政部門長として三つの国権(司法・立法・行政)すべてに参与したある貴族出身の思想家が、パリに産声をあげてからちょうど214年のきょう2019年7月29日、昼下がりの極東の島国から投稿。