知性・博識・賢さに関する略筆(知性などについての論考その①)

 こんばんは。トクヴィルたんです。だいぶ御無沙汰の更新となってしまいました。前回の「わがまま時代の~」の更新から103日が経っているとのことで、反省している次第です。ちなみに、言い訳がましいことを言うとブログの記事を全く書いていないわけではありません。現状、下書きに18本の記事があり、うち数本は1000字を超えています。巧く纏まりきらずに下書きフォルダにくすぶってる感じです。

 先月下旬にずっと抱えていた大きなタスクのひとつが落着したのですが、今月入ってからはそれまでの間に等閑になっていた諸々の勉強面でのインプットやタスク整理に追われていて、落ち着いて自分の脳内の交通整理をする余裕に乏しい日々を暮らしています。電源やネット環境の無い30分程度のスキマ時間でタスク処理を担っていたタブレットPCの画面が操作できない(電源はつく)というのも状況の悪化に拍車をかけています。修理に出そうにも、最近刊行された書籍の「直ちに参照すべき文献リスト」が加速度的に増えており、刊行から日の浅い書籍だと割安な古本で買うこともできず、したがって爪に火を灯すが如き赤貧学生の身にはまとまった金額が工面できずに途方に暮れている状況です。実に厳しいです。

 さりとて「これだけブログ更新を怠るのはさすがに良くないなぁ……」との思いは常に心にあったのですが、今夜その思いが突如強くなったために今キーボードを叩いています。最初は上述した書きかけの論稿を仕上げてしまおうと思ったのですが、やはりまだ詰めが甘い感じだったので全く新しいテーマで書くことにしました。

 ちなみに纏まった論稿で最後に書いてたのは9月末とか10月アタマだったんですが、その論稿の冒頭の文章がこちら↓

 

 こんばんは。トクヴィルたんです。だいぶご無沙汰してしまいました。ブログの更新履歴によれば53日ぶりの投稿になるそうです。夏休みの約二か月間、ほぼ丸々放置していたということになるんですね。

 この間、読者さんからTwitterと連携している Peing(ペイング) 質問箱というサービスへ「次の更新はいつだ?」「更新しないのか?楽しみにしているぞ。」といったような投稿を複数回お寄せいただきました。お蔭さまで脳内のto Doタスクリストから「ブログ更新」という項目が消えずに済み、「いちど長期更新停滞にハマると抜け出しにくく、以後放置しがち」というブログのビギナーあるある事態は、さしあたり回避することができたようです。

  「書いても公開してないなら”ブログ更新の停滞”は回避できてねえだろ!!!!!!」

という感じです。さすがに我ながら呆れ失笑を禁じ得ません。自らの怠惰さを開陳するのはともかくとして、実際にネットでの質問箱を通じてのみならずリアルでの友人・知人からも「はやく次書いてよ」「楽しみにしてるよ」という声を結構多くもらいました。根が怠惰な自分にとってはすごく励みになったし、純粋にうれしかったです。ありがとうございました。

 

 さて、例によって長い前置きになってしまいましたがここらで本題に入ります。

 みなさんは表題の知性とか叡智とか賢さといった言葉について、どんなイメージを持つでしょうか。

 このブログを見てくださっている方の多くは、足を踏み入れた(つまり卒業や修了のいかんを問わずに入学をしたということについての)最高学府が大学かそれ以上の学府なのではないでしょうか。そして、そのような方が上述した概念について想起する場合、深さなのか幅の広さなのかその両方なのかはともかく、一定の学問的ディシプリンに基づいた知識体系についての「質×量」の積を指すことが多いのではないでしょうか。ちなみに僕の考えだと、深さ要素について8割・横幅要素について2割といったバランスの上で質×量の総量で認識しています。

 ところが、このような概念とはまったく異なる定義で、知性や叡智や博識が定義されている場合がある気がします。特に今回取り上げたいのは「他者に対して何らかの概念を受容させる能力」といった定義のものです。ザックリと換言してしまえば「他者への解りやすさこそ賢さ」「何もわからない(事前知識のない)人にも解りやすさを提供できる人こそ、本当に頭の良いひとだ」といったものです。長いので、以下の本稿では仮に「解りやすさ説」とします。

 僕の見解を先に述べておくと、この定義はかなり的外れで受け入れ難いものだと考えています。要するにクソだと思います。今までの短い人生を振り返ってみても、それになりに恩義があったり世話になった親類などからこういう言葉を浴びせられた折には本当に、本当に嫌な思いをしてきました。年に一回顔を合わせるか機会があるか否かくらいの関係にあって、一定の恩義がある赤の他人でない親類からこうした言葉を投げかけられというのは大変精神的なストレスが大きいものです。私は三親等に大卒者がいないのですが、そのせいもあってかこのストレスを理解してくれる近親者がほとんど居ません。これはなかなかつらいことです。

 「解りやすさ説」に対するごく素朴な反証事例として、「アルファベットを解さない者に対して、『解りやすさ説における賢者』は英文法を理解させることができるか?」というものが挙げられるでしょう。僕は神憑りのような神秘的な能力の他にこの問いを肯定するケースが思いつきません。そもそも、知性・博識・賢さの概念を問う場合にあって、神秘的ないわば”超能力”を定義として採用することにはかなりの違和感があります。

 

 すみません。反証についてもう少し掘り下げようと思ったのですが、腰の痛みと疲れが急にキツくなってきたので本稿はここで一旦区切りを付けようと思います。本当にこのところ疲れが抜けないんです。マットレスがヘタって来ていて朝起きてもすっきりしないとか原因は色々考えられるのですが、とにかく諸々の環境が良くありません。

 先日、Twitter上で私がちょっとした指摘をしたことがきっかけで『しょぼい起業で生きていく』の“えらいてんちょう”通称えらてん さんからAmazon欲しいものリストを通じて本を買ってもらったのですが、本ブログの読者の方のあふれるチャリティー精神に期待して(?)ここにもリンクを貼っておこうと思います。

 そういえばAmazon欲しいものリストを公開することについて、某ネットテレビの番組でHKT48を引退したアイドルの指原某が「底辺の人しかやってない」と言っていましたが、諸賢ならご案内の通りわが国の租税の所得再分配機能は世界的に見ても低いわけで、本来それを補うチャリティーの効用最大化を図ることはたいへん理に適った話です。HAVEsである指原某の謂いは持てる者のポジショントークに過ぎず、耳を傾けるに値しません(バラエティ番組でのぱっと出の1コメントに目くじらを立てても仕方ないですし実際そんな真剣に批判するつもりもありませんが)。

 

 というわけで今回は全然内容が濃くないにも拘わらず恐縮ですが、以下のリストを覗いてやってください。きっと幾らかブログ更新の速度が上がると思います。それではおやすみなさい。

www.amazon.jp